僕は平凡な顔をしているが、他人の評価は歳をとるごとに、めまぐるしく変わっていった。
 まず中学生の頃は不細工の代名詞のような扱いを受けていた。当時のクラスメイトたちが自由帳に「連続レイプ魔佐久本庸介容疑者」と書き、全身毛だらけのイラスト付きで馬鹿にしてきた。変な芸もやらされたし、体が弱かったから立場も弱かった。要は滅茶苦茶にいじめられていたのだ。
 それで自分は不細工だと思い、髪の毛は伸ばしっぱなしか坊主にしていた。いっそ武将のようにワイルドになってやろうと髭も剃らなかった。全体写真では自分だけが格好悪く、外見に絶望していた。
 中学を卒業した。久々に床屋に行き、髪を適当に切ってもらい、顔も剃ってもらった。
 高校の制服が届いたので、着替えて洗面所に立った。
 別人が立っていた。
 髭を剃った僕は自分の顔が意外なほどに整っているのに気づいた。目は小さいけれど確かな力があった。高校のブレザーのかっこよさに負けていなかった。自分の人生の中で一番綺麗にみえた。今考えると過去との対比でより際立っていた。
 少し目に力を入れてみると、さらに輝きが増した。それから三年間、僕はこの常に目に力をいれた状態が自分だと思うことにした。
 結果からいうと、高校では「顔はかっこいいけど中身が格好悪い人」という扱いを受けた。友達は一人もできなかったし、ところどころで醜態をさらした。中学の時に受けた軽い扱いが高校で尾を引き、なにが自分なのかもよくわからなかった。
 中学の頃の同級生が「あいつショートカットにしてるよ、サクモトはなにをやってもサクモトなのにね」と陰口をいっているのも聞こえた。
 お前は恵まれているんだよ、といわれたこともある。相手は確かに顔には恵まれていなかった。だけど僕にそういうだけで友達にはなってくれなかった。お前になにがわかる、といってやりたかった。
 それでも僕は目に力をいれていた。今思えば、外見に対するこだわりとコンプレックスに塗れたくだらない男だった。女の子が寄ってきては失望して去っていった。
 人間顔じゃない。大切なのは中身だ。でも中身ってどうやってみつけるのだろう。誰も教えてはくれなかった。周りでは楽しそうに話す同級生、僕は最後まで机の上で寝ているふりをしていた。
 大学に入っていよいよ僕は追いつめられていった。半年後、病院送りになった僕は精神科病棟に隔離され、幻聴と共に過ごすようになった。
 ある日、鏡をみて驚いた。目はつりあがり、大変な不細工になっていたのだ。
 こんなはずはないと指で目をいじった。目に力を入れてみたがやはり醜かった。
 病棟にいるSおばさんに「あんた不細工だねえ、みればみるほど不細工だわ、きっと今まで女の子になんて縁がなかったのねえ」と馬鹿にされた。
 この時ほど情けない気持ちになったことはなかった。子供の頃からずっと不細工だと思っていて、でも実は整った顔をしていた。そうだと思ったらやっぱり不細工だったというのか? 誰かに弄ばれているような気分だった。
 顔だけではない。大学を中退して病人をやっているのだ。どん底ではないか。
 主治医に顔が変わってしまったと訴えたが、薬の副作用でそういう症状はない。きっと太ったからだといわれた。
 そんなはずはない。体重がちょっと増えただけで顔がこんなになるものか。
 部屋にひきこもり、己の不幸を嘆く。鏡をみれば絶望した。そんな日々が一ヶ月続いた。ちょうど一ヶ月したところで幻聴も戻ってきた。
 なぜ僕はいつも受け身なのだろう。目を必要以上に開いているのだって誰かのアクションを求めている証拠である。そうやって十代をずっと生きてきたのだ。貴重な時間を浪費するしかなかったせいか、必要以上にいろいろなことを考えた。
 結局のところそこから始めるしかなかった。同級生と話すのは怖くてもおじさんおばさんとなら気負いなく話せる。無口な少年と思われていた僕はたちまち病棟の人気者になった。特にSおばさんとはよく話すようになった。
「あなた滅茶苦茶不細工だけどかわいいね、あたしが独身だったらあなたと結婚して幸せになるのにな」
 恐ろしい話の飛躍だが、当時は笑って聞き流していた。この話の軽さはなんだったのだろう。
 それから退院してリハビリを始めた。リハビリ所で撮った写真はどれも目が死んでいたが、よくよく考えれば中学からこの歳になるまで自分の個人的な写真などほとんど撮ってこなかった。
 リハビリ所でやっているのはまるで子供の遊びだった。他の同級生が大学で勉強したり、仕事をしたりして家族の生活を支えている間、自分の倍も歳をとった人たちとトランプや卓球をしていた。
 それから三年の月日が経った。試しに三ヶ月だけパートをしたり、県の事業に参加したりした。
 リハビリ所の使い方も自由が利くようになり、週一参加になった。その頃には若い利用者が増えてきて、彼らに小旅行に行こうと誘われた。
 日本三奇橋と呼ばれる猿橋というところを見に行った。瓦のように幾重にも板が重なっていた。なるほど奇妙な橋であった。おもしろいので携帯のカメラで何枚も写真を撮った。スタッフたちが僕らの様子も写真に撮った。
 それからしばらくして写真が現像された。アルバムをみてみると、僕は自分の写真をみつけて仰天した。
 目が生き返っていた。別段かっこよくはなかったが、少なくとも死んだ目はしていなかった。
 鏡をみたいと思いトイレに駆け込んだ。普通の、平凡な顔をしていた。目に力を入れてみた。まあそれなりの顔であった。
 僕は思っていた以上に感動もしなかった。ただほっと胸をなで下ろした。
 徐々に不細工といわれることは少なくなった。昔よりも交友は増え、孤独を感じることも少なくなった。
 もう目に力を入れて歩くのも止めよう、と決意した。平凡であることが、背伸びをしないことが、自分の顔でいられることが、どれだけ幸せなことか今ではわかるからだ。
 多くの人が自分の容姿を気にしないではいられない。化粧をしたり髪を派手に染めたり、中には整形する人もいるだろう。個人的には大いに結構だ。
 だけど顔というものは不安定なもので、体の変化と共に著しく変わってしまう。いつしか人は容姿に対し諦観を持つようになるのではないか。
 上をみても下をみてもキリがないが、自分で納得できればそれでいいのだと、今では心の底から思う次第である。
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クランチ新人賞

私のための精神病小話

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